テニスが野球やサッカーのように世界で活躍できない理由 part2
というわけで、前回に引き続いてテニスが世界で活躍できない理由について考えていきたいと思います。前回のブログでは、才能ある選手を平均的にしてしまうような指導はよくないと述べました。そして、普通の選手を才能のある選手のように改造しようとすることはケース・バイ・ケースだと述べました。
では普通の選手とはどんな選手なのか?定義としては、誰もが目を引く先天的な能力をもっていないということです。それには、いわゆる『テニスセンス』と『フィジカル面』と両方あると思います。ただ、今回の場合はテニスを改造するという話ですから、『フィジカル面』ではないことにします。技術的な部分です。なぜケース・バイ・ケースなのか?それは、指導者との相性が成功の鍵を握っているからです。世界を目指すような特別な能力を身につけようとすると、練習にはかなりの負荷がかかります。選手と指導者との信頼関係がなければ、そのストレスに耐えきれません。この指導者の言うことは難しいけれども、耐えきれば必ず勝てる日が来るんだ!という希望がないとついて行くことはできません。想像するなら、錦織選手や伊達選手のようなタイミングの早い選手のテニスをコピーしていくという練習を繰り返す。でも、自分のタイミングを捨ててプレイするのはかなり困難です。でも継続すればいつかものになるかも知れない。でもいつとは言えない。。。そんな毎日を繰り返す日々。ほとんどの選手が結果が出ずにやめていくことになるかもしれません。
でも、中には大成功を収める選手が誕生するかもしれません。きっと誕生するでしょう。しかし、その為に、言わば犠牲になる選手がいる。今の社会がそんなことを許すでしょうか?だからもしそうしたいなら、プライベートレッスンでやっていくしかないでしょう。相性の合うコーチと出会い、そのコーチのプライベートレッスンを受ける経済力があり、結果が出るまでチャレンジする。確率としてはとても低いものになるでしょう。僕が言いたいのは、強い選手を作るのはほぼ不可能に近いということ。世界で活躍するということになればなおさらです。
ではどうすればいいのか?現れるのを待つのではなく、現れるような環境を作ることです。
まず一つ目の提案としては、トーナメント戦に固執せずにリーグ戦方式をもっと採用する。これは低年齢の大会ほどそうすべきと思います。テニスに対するイメージや感受性、ゲーム性が養われる時期に『負けないこと』に固執しなくていいような環境が必要だと感じるからです。これは世界的にもあまり採用されていないような気がします。日本人が世界に通用するには、『パワー』以外の部分を大切に育てていかないといけない。低年齢層ほど、いろいろなプレイにチャレンジする機会を与えてあげればいいと思っています。イチロー選手でも高校時代に甲子園で優勝していません。(まあチームスポーツですが。。。)負けないことがすごいのではなく、どんなパフォーマンスができるかが重要。野球だって、サッカーだって、高校生まではトーナメント戦なのに、プロになると急にリーグ戦になる。なんかおかしくないですか?でもビッグビジネスだからスカウトがちゃんといて、高校時代にトーナメント戦で負けた選手のことも見てくれている。テニスでは勝った選手しか見ていません。もし14歳以下のカテゴリでリーグ戦をしたら、もっと才能ある選手がたくさん隠れていることに気がつくかも知れません。
そしてもう一つの提案はどんどん海外にでていくということです。とにかく、日本でしっかりと選手を作ってから海外にチャレンジするという構図が多いように思います。それはそれでいいのですが、方法の一つにすぎないと思います。世界の大会にチャレンジして、必死にテニスを世界レベルに合わせようとする作業が重要だと思います。日本で世界のテニス事情の情報を集めて練習しても、それは昨日まで世界で正しかったことであり、今日や明日に必要なことではないかもしれない。島国でいくら頭をひねって考えても、どんどん世界からは取り残されていくと思います。やっぱり世界を肌で感じないことにははじまらない。(世界で活躍したいならですよ。。。)
野球やサッカーのようにメジャーなスポーツになると、情報もたくさん集まるし、世界との距離も近くなる。それは、メジャーだから世界とつながる活動にお金がかけられるからです。テニスは個人で負担するしかない。もちろん、見返りもない。見返りは経験という財産のみです。でもそうやって世界を感じていくしかないと思っています。そして、考えながらチャレンジしていく。日本で考えて、作ってそれからチャレンジしても遅れてしまうと思います。最終的に頼れるものが、『努力』『根性』みたいな精神論になってしまうと思う。僕の大好きな漫画に『はじめの一歩』というボクシング漫画があるんだけど、バルセロナに留学して以来、どうも最後は『つらい練習に耐えてきた』という根性論に裏打ちされる勝利をつかむ一歩に感動はすれど、違和感を覚えてしまいます。まあ、漫画としては最高だし、良い気持ちになりますが。。。
最後に、今読んでいる本の中に面白いやりとりがあったので紹介しておきます。思想地図βという本で、(これまた難しい本で、ほとんど読み進められていない、笑)東京都の副都知事の猪瀬さんと、日本を代表する芸術家の村上隆さんのやりとりです。以下にその対話を引用します。
猪瀬 『いま第二の江戸時代が来ています。だいたいスピードでいったら江戸時代の二七〇年に匹敵していて、戦後、防衛をアメリカに任せたために鎖国みたいな部分がある。我々はいまディズニーランドみたいなところに住んでいるわけです。門番がアメリカ兵で基地という形で本当は見えているけれど、日本人は見ようとしていない。世界が近代として感じてるリアルと違う世界に我々はいます。そういう中で別の成熟というか未成熟というか、どういってよいかわからないような世界がとりあえずでき上がっているのです。それを逆手にとって、ヨーロッパの美術史の文脈につなげて、世界で勝負しようというのが村上隆の戦略だったのではないでしょうか。だから、お前ら文句あるかと、迫ることができた。』
村上 『僭越ながらいわせて頂きますと、そこで終わるのが日本式の見識の限界だと思います。島国根性での戦い、のような気持ちは日本的には受けるでしょうが、実際は迫ったりするのではなく、優しく融和していく。へりくだる。見くびられる。そいうことには頓着せず、ひたすら見据えたゴールににじり寄る。そして彼らをリスペクトし続ける姿勢の一貫性が村上隆のブランドだと思っています。』
猪瀬さんは、村上隆さんが、日本で世界に見せつけるような芸術の概念を作り、作品を作って勝負をしていると思っていた。でも実際にその分野において世界で戦っている村上さんは、そんな考えではない。へりくだり、見くびられながら、見据えたゴールににじり寄ると言っています。猪瀬さんも日本の水の技術を世界に売ろうとしていますが、どうしても脇を固めてしっかりと準備してという手順を踏みすぎてまだまだ一歩目を踏み出せていないのではないでしょうか?(俺はなんと調子こいたことを言っているんだろう。。。すいません。)
でもこの二人のこの会話というのは、戦っている人とそうでない人との違いをしっかりと示していると思います。世界で戦うには、へりくだり、見くびられながらやっていくしかない。ながらやっていくしかないんです。完成してから挑戦するんではないんです。その部分は全く同感です。
長くなりましたが、part2の結論としては、低年齢層の試合でリーグ戦方式を取り入れる。(これは、コートの利用の無駄もなくしてくれる。決勝戦をする頃には、いつも一面しかしようしていない。空いてるコートの有効利用ができる。)そして、世界にどんどんチャレンジして、やりながら考えるとうことです。
そしてpart3に続きます。。。。
関連する以前のブログ。
テニスが野球やサッカーのように世界で活躍できない理由part1
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