結局そんなもんだ!もう遅い編。。。
普段、私がレッスンしているコートで今週はインカレインドアの予選をやっている。その学生達のプレイを見て、Nコーチとしばし話し合った。Nコーチは、伊達選手と世界中のツアーを転戦した経験を持つコーチです。そのコーチ曰く、『みんな上手いんだけど、なんか感じるものがない。』『うまいんだけどなぁ。。。』言わんとしていることは、ものすごく伝わってきたので、僕のバルセロナ時代の経験も織り交ぜて20分ほど話し込みました。
たどり着いた問題点は、
①ジュニアテニスの終着駅は大学テニス1本になる
②小学生の大会に将来に対するビジョンがない。
の2つです。①に関しては、結局、テニスをすることの本質は大学に入学する為にやっているようなものであるということに落ち着く。テニスは学歴社会に完全に飲み込まれている。共存できていない。大学生時代とはある意味で、自分のテニスがどこまで通用するのか最後のチャレンジをすべき時期。世界中で自分のテニスがどれくらいの存在なのかを、確かめる時期にあてるといいと思う。大学1年生で、世界で戦うのに必要なことに気がつけば残りの3年間、それを目標に練習ができる。前回のブログで『結局そんなもんだ。』と気がついた時がレベルアップした時だと書いた。でも逆の気づきもある。自分のテニスがピークを過ぎたと感じた時期に、世界も見てみようと海外に行ってフューチャーズに参戦して、世界のテニスに必要なものはこういうことだったのかと気がついてももう遅い。テニスを通じて世界を学ぶには大学テニスにこだわりすぎる必要はないと思う。
②に関してはこのブログでもよく取り上げていることです。Nコーチとも意見が重なったのですが、今の小学生達が大学生になった時には、もっと『感じるもの』がなくなっているのではないかと思うのです。情報に振り回されて、教えられすぎて、狭い了見の競争に巻き込まれて。。。
もちろん、大学テニスで1番になってから世界に挑戦しなければどうせ通用しない的な考え方にも賛同はします。ただ、テニス界と学歴社会は対等な立場で存在して欲しいのです。私が言いたいのは例えば、文学に興味を持ち、その道を極めたいと思った人がいるとします。その人はまず東大の文学部に入学して首席を取らなければならないのでしょうか?図書館で本を読み漁り、Amazonで洋書を買って読みまくってもいいはず。逆に多感な時期を受験勉強に費やすしてガチガチに固まった頭でことを始めるよりもいいと思う。
学生プレイヤーから『感じるもの』を奪っているのは、なんなのだろう?一言でいうと希望がないんだろうなぁ。私の場合、高校でテニスを始めたが指導者はいなくてみんなで試行錯誤しながら練習した。大学に入ってからは、テニスクラブでアルバイトコーチをしながら練習し試合にでた。26歳の時に貯金を貯めてバルセロナにテニス留学した。どうしようもなく弱かったけど、いつもそこには希望があった。弱いなりに日々ワクワクしていた。そして、弱いなりにも、世界の広さを理解しテニスの試合にはでなくなった今の人生に生かしている。
よく人は言う『学歴社会で学んだことなんて社会にでたら役にたたない。因数分解も歴史の年号暗記もなんの役に立たない』って。『テニスなんて社会にでたらなんの役にたたない。ブレイクポイントで緊張しないメンタルやボレーのテクニックなんてなんの役にも立たない。』こんな悲しいことを言われる未来がもうすぐそこにあるのかな。
まあ俺は、テニスに学び、テニスを通じて人生を豊かにして幸せに生きていくから関係ないんだけど。。。
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