錦織選手のジュニア時代の戦績から感じる一貫性!彼が目指したものとは?


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昨日と一昨日は錦織選手の中学・高校時代(2002年〜2008年2月)の戦績をチェックして、彼がどんな活動をしてきたのかを調べてみました。

ITFジュニア時代 中学1年生〜高校1年生

一昨日の記事 錦織選手のジュニア時代の戦績からわかる好成績よりも大切なこと。

2003年(中2)からITFジュニアに積極的に参加し始めています。2004年(中3)には15大会に出ていますが、本戦での平均の勝利数は、1.3勝でした。ですがここで注目したのは、1年の後半になるにつれて出場している大会のグレードが上がっている点です。年間の大会グレードの平均はG2.4です。低いグレードで好成績を残すことよりも、ポイントを獲得するとそのポイントを使って上のグレードの大会にエントリーしていこうとしたことがデータから読み取れます。2005年(高1)の大会の平均グレードは、G0.93です。本戦の平均勝利数は、1.7勝です。詳しくは上記リンクより過去記事でどうぞ。

一般部門へ移行 高校2年〜

昨日の記事 錦織選手の高校時代の戦績検証から考えるチャレンジの本質!負けても出倒せ!成功はすぐに捨てろ!

2006年(高2)になると、ジュニアITFを卒業して一般の部に移行しています。2006年は本戦での平均勝利数1.36勝。2007年(高3)は0.88勝です。2年目に関しては出場16大会中12大会が予選落ちという厳しい結果です。ですが2008年(高3)の2月にインターナショナルシリーズのデルレイビーチで優勝という結果でセンセーショナルを巻き起こしてます。こちらも詳しくは上記リンクより過去記事をどうぞ。

数字からわかる錦織選手の一貫性

2004年からの4年間の錦織選手の年間の1大会あたりの本戦勝利数平均は、(2006年はメインとなる一般大会のみの平均値)

1.3 →1.7→ 1.36→ 0.88

という推移になります。1大会平均2勝以上している年がありません。最後の1年は1を切っています。しかも
16大会中12大会が予選落ち
でもこの数字の間に戦うステージは、

ITFジュニアG5〜G3→ITFジュニアG2〜GA→フューチャーズ→チャレンジャー→インターナショナルシリーズ

という風にステップアップしていっています。彼が求めたものが、安定した好成績ではなく、戦うステージをあげることであったことがよくわかります。ITFジュニアでしっかり勝てるようになってから、フューチャーズやチャレンジャーで安定して勝てるようになってからという考えではなく、常に上のステージで戦うことを目指しています。彼は一貫してそこを目標に年間スケジュールをこなしていたこということです。

余談ですが。。。

現在錦織選手のスポンサーである日清食品。その創業者である安藤百福さんのドキュメンタリー番組をみたことがありますが、安藤さんも同じように一貫性のある人でした。

安藤百福 ウィキペディア

何度も会社を潰すという辛酸を舐めた人ですが、戦後の事業では一貫して日本が戦後の荒廃から立ち直るための事業に傾倒し、インスタントラーメンで成功してからは、インスタントラーメンのJAS規格の制定に尽くすなど、一貫して業界全体の品質の維持・向上に努めました。(ウィキペディアより)

まとめ 負けても頑張るんだ!!は正しい!!

錦織選手は少ない時で年間15大会、多い年は24大会に出ています。今回のデータから、目標は一貫して、『戦うステージを上げていくこと』だったことが読み取れました。日本国内で自分の力を試すことができる大会がそれほどたくさんあるかというと難しいですが、日頃の練習や練習マッチをいつもそういう気持ちで取り組むことは可能だと思います。戦うステージをあげるんだ!!という一貫した強い気持ちで負けても負けてもコートに立ち続けましょう!!負けても頑張れ!!って良く言われると思いますが、錦織選手もそうだったことがわかったと思います。国内では無敵でしたが、海外に行っても勝ちまくっていたわけではなく、負けて負けて強くなったことが今回の調べで分かりましたよね。

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