脱洗脳、情報収集、論争。


2010年も残す所あと10日ほどになりました。自分の中で今年特に大きかったことは、情報革命が起こったこと。具体的にはTwitterの存在が大きいのですが、今まではどれだけメディアというある種のフィルターがかかった情報しか知らなかったのかよくわかりました。日本はかなりメディアによって情報をうまく操作されて洗脳されているんだ、と思いました。新聞やテレビに代表される巨大メディアには特にこの傾向が強く、国民にはあまり真実は伝えられていないんだ、と気づかされました。気づき始めた矢先に、検察問題、尖閣諸島のYouTube画像漏洩問題、ウィキリークス問題と立て続けに『情報』について考えさせられる事件が起こりました。
そしてこの一連の事件について考えていると、一つ気がついたことがあります。テニスにおいて我々はどれだけ正確な情報を得ているのでしょう?基本的に、一般の情報において日本国民はメディアに操作された情報を鵜呑みにしている以上、テニスでも同じことが言えると思うのです。僕のように海外で長期間テニスを学んだ方はたくさんいると思うのですが、みなさん海外経験のないコーチと意見が食い違う経験をしたことがあるはずです。その『食い違い』はなかなか一言で表すことが難しく、僕もこのブログにおいて長々と書いているわけです。
①テニスの始め方
②大会のコンセプト
③成長の過程
などなど、例をあげるときりがないですが、『食い違い』の根底にあるものは日本のメディアが遠回りに避けている『タブー』の領域にあると思うのです。
少し話がそれますが、我々が受けてきた『教育』とメディアに受けた『洗脳』について考えてみます。我々の世代の教育は、TOYOTAなどの大量生産型の大企業で通用する人材を育てる為に行われていました。何かというと右へならえで協調性を重んじられ、言われたことをしっかりこなせるような人材を目標にしていました。そしてその為に受験戦争に巻き込まれました。発行部数全盛期だった少年ジャンプでも『友情』やら『愛』やらが叫ばれ『キン肉マン』『キャプテン翼』など仲間を大切にする作品ばかりでした。大好きな漫画だったのでこういう考え方はしたくはないのですが、これも一種の洗脳だったのかもしれません。友情や愛を大切にして、横並びの平均的な能力を身につけて大企業で活躍しようという洗脳。ただ、その時代は社会全体がそれが正しいと思っていたので『悪意のある洗脳』ではなかったはずなのですが。。。
今みたいに、ブログやTwitterもなかった時代なら、出版社のコンセプトを子供はダイレクトに鵜呑みにしてしまう。テニスの指導においてもたどり着く所は『努力』と『根性』。これって僕達よりもかなり前の世代の漫画のコンセプトだと思うんですよね。『巨人の星』とか『アタックナンバーワン』 とか。再放送でしかみたことない。僕は『努力』や『根性』を否定しているわけではありません。先日の長谷川穂積選手の『努力』と『根性』と科学が融合したボクシングには本当に感動しました。
僕が言いたいのは、日本の『情報』や『洗脳』って進化していないということです。そして『悪意のない洗脳』は怖いということです。もうすでに、日本で大量生産型の企業で活躍する人材を育てても、コストが高くて商売にならない。なのに今だに同じ仕組みで受験戦争をしている。これって進化してますか?『失われた20年』とか言われてますが、日本は20年前から情報が進化してなかったんですね。今だに、『努力』や『根性』まで考えが及ぶと思考停止してその次のアイデアが出てこない。。『巨人の星』から進化していない。。
話を『タブー』に戻します。僕のバルセロナ留学時代の経験談ですが、あるサッカーのコーチと話をしました。あのFCバルセロナのコーチにも友人がいるらしく、『いいサッカー選手はどうやって育てるの?』と質問しました。答えは、『いい選手は育てるんじゃなくて見つけてくるんだ!』でした。要するにいい選手を見つけてきてよりいい選手になるように指導して行くということでしょう。アルゼンチンで10歳で才能を見いだされてFCバルセロナに育てられたメッシのように。僕にとってはかなり頭をガツーンとやられた感じでした。日本だと『才能』によって指導を変えるなんて『タブー』のような気がしませんか?でもそれって日本でそう思われているだけで、世界的には当たり前のことなんです。みんな横並びに同じ時間割で授業を受けて、『友情』や『愛』で育ってきた我々の中で『タブー』なだけなんです。
この経験によって僕の中で指導には2通りあることに気がつきました。
①いい才能を見つけてよりいい選手にする指導
②平均的な能力を身につける為の指導です。
こうやって活字にするとなんか②の方はなんか残酷に見えてきますよね。でもここで声を大にして言いたいのは、こういう情報を得て、あえて自分のレッスンの形を構築し直す作業が重要だということです。この2つのうちどちらかを選ばなければいけないというわけではないのですから。情報を知った上で自分のレッスンを構築していけばいいのです。何も知らなければ、これからもずっと『星飛雄馬』を目指してしまう。。(ちょっと極論ですが。。)知らないことは怖いことなんです。そして、知っておかなければ怖い情報は自分から欲しがらないとなかなか手に入りません。
他の指導法や育成の過程を知らないだけ。
そして盲目的に成功者の意見を取り入れる。。。
比較対象を知らないだけ。
それって危険なことだと思います。
それに加えて、我々日本人は論争が苦手です。お互いの指導論をぶつけ合って、そのあと笑顔で食事できるかというと、険悪になってしまうのがオチではないでしょうか?それでは、盲目的に信じている『何かの呪縛』から解き放たれることはできないと思います。バルセロナのコーチ陣はボードゲームを楽しみながら、お互いの指導論を話し合っていました。論争が苦手な我々はますます、情報が遮断されて凝り固まっていきます。
テニスコーチは、
①過去の『悪意のない洗脳』にとらわれず、
②自ら良い情報を仕入れて、
③他のコーチと議論して
いかないといけないと思う。よーし、今日はあのコーチとトコトン指導論で勝負してみよう。明日にしとこかな。。。笑。そして、キン肉マンとキャプテン翼を読み直そう。『悪意のない洗脳』がとけた今でも、絶対に面白い漫画のはず!
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