意味のあるどっちでもええ!


こんにちは!

先週末、選挙の投票にいってきました。結果はさておきその投票率の少なさはかなりのものだったとか。。。確かにそれどころではない問題が山積みだし、東京都知事選でも感心のない若者が多いくらいだから仕方ないのだろう。僕もそれほど熱心に選んだわけではない。

第一情報が少なすぎるし、その情報には自分でアクセスしないといけないし。新聞に書いてあるマニフェストなんて箇条書きで具体性ないし。早く、家のPCやスマートフォンからネット投票できるようにすべきだと思う。選挙権があっても行使されていない現状を知るべきだと思う。それでもいいとして、行使しない人を悪いとすることでいい国家が保てるのか?行使しない人も日本経済には参加している、その意思表示は知りたいと思うべきなのではないだろうか?

僕はネット投票を実現して、その時につけて欲しい機能がある。それはランダム機能だ。要するに、誰でもいい、と思った時にそのボタンを押すと、コンピューターがランダムに選んで投票してくれる。これって、政治に興味があり、国のために投票したいけど、誰も選びたい人がいないという意思表示になる。

選挙にいかないと、政治に興味がない人というレッテルを貼られる。そうではないと思う。選挙に行っている人の中にも興味がない人はたくさんいるのではないか?逆に興味があるけど、これといった投票したい人がいないから行かない人もいるだろう。ランダムボタンを押す人は無責任なのか?そんなことはないと思う。よくわからないけど、選ばないといけないから少し考えて適当に選んでいる人も無責任だ。

日本という国の将来をしっかりと見通せているからあえてランダムを押すという人もいるかもしれない。僕は実はこのランダムボタン的な選択肢ってとても重要だと思っています。しっかりと選んでも、ランダムでも結果はたいして変わらないってこと多くないですか?きっちりと予定を組んで計画を進めようが、行き当たりばったりで進めようが結局は同じような結果がでることって多いと思います。まあ、それを政治に使うのはどうかという意見はおいておいて。

あまりにランダムボタンをたくさん押されるようなことになると、選挙のあり方が、忙しい国民のために変わってくれると思います。もっと情報を得やすくするべきだし、投票もしやすくするべき。

さてテニスのお話。強い選手を育てるのにある程度のカリキュラムや方針は大切だと思います。でもそれが、プレイヤーやマネージャー、コーチを安心させるものではあってはならないと思います。言葉にできて綺麗に成文化されている予定表はそれを作成した時点で完成されていて、物事がうまく進んで行く保証にはならないし、そのせいでうまくいかないこともあるでしょう。

きっちりとした旅行の計画はいいですが、途中で偶然見つけたお花畑が綺麗で、しばらくそれをみながらゆっくりすることにしたいのに、計画上許されないとかなったら興ざめです。

プレイヤーは誰でも、一人一人違ったカリキュラムでその子に合うように練習するべきなのでしょうか?もちろん時間は戻ってこないので、そうした方が良かったのか?よくなかったのか?は水掛け論にしかなりません。しかし、そうしなかった方がいい結果がでるのではないか?という判断は必ず選択肢にいれて欲しいと思います。

何かを計画し、カリキュラムを組む人に限って、その成功体験は話すけど失敗談はあまりしません。カリキュラムを組み、熱心なことは重要なことです。でもそれは、熱心に選挙に通い投票する行為に似ています。勇気を持って将来のためにランダムボタンを押すことも重要だと思います。それは決して手を抜く行為ではありません。その方が将来のためとも言えるのではないでしょうか?

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