いつのまにか完全に大人!


この前ふと気がついたんです。僕は完全に大人であることを。。。

自分自身では、まだまだ成長していかないといけないと思っているし、成長、進歩、発展途上、そんな言葉の中に自分をおくことで日々頑張ってます。ではなぜ、完全に大人なのか?それは子供達からみたら、という意味においてです。

自分の中学時代を思い出してみても、好きな先生と嫌いな先生がいました。でも個々ではなく集団として見た場合、大人は嫌いでした。というか嫌うことが課せられていたというべきかもしれません。どんなに好きな先生でもその20%は嫌いでした、それは大人であるという理由からです。子供達にとって、大人を嫌うことは仕事のようなもんです。ルールを守れだの、努力しろだの、言うのは大人です。規制するのも、歯向かえないのも大人です。

では大人のどの部分が嫌いなのか?考えが古い。保守的。経験があるがゆえに上から目線。子供の頃はそう思ってました。でも大人になると、そうではなかったとわかります。考えが古くても、保守的でも、経験があるがゆえに上から目線でも、好きな大人ってたくさんいましたよね。嫌いだったのは自己保身の強い大人でした。ルールを守れとか、ガミガミと規制されても、好きな体育の先生はいました。嫌いだったのは、発言のひとつひとつを、自分の立場をキープしたり自分の責任を他人に転嫁する為にしている人でした。まあ、大人の立場からすると、日本は減点主義ですから仕方ないといいえば仕方ないんですけど。。。

でもまあ何も、僕は、尾崎豊や長渕剛とかみたいにカリスマ的な存在を目指しているわけではなく、当たり前の普通の大人であればいいと思ってますし、そんなもん目指してなれるようなもんでないのもわかってます。だから大人なのです。笑。でも何かしら、あの頃の自分に対して、アピールできるものを持ち続けていたと思う。最近目指しているのは、返事が思いつかないことには、返事をしないということです。

子供達がプレイヤー目線ではなく、お客様目線で質問してくる時、唖然とすることがあります。親御さんと話している時に、結果を先走ってるなと感じた時も同様です。そんな時は、わざとポカンとした表情をつくるようにしてます。そんな質問には、答えなくていいからです。

サービス業たからといって、なんでもかんでも成文化して答えないといけないという強迫観念が、いろんな流れをおかしくすると思います。ん?何言ってんの?って顔をする。成文化するなら『。。。』っていう感じでしょうか?言葉にしようとすると、ろくなことがないし後でとても後悔してしまう。かといって外人のように両手を広げて『ふ~~』とため息つくわけにもいかない。別にため息つきたいわけではないんです。だた、きょとんとする。それが、僕の言いたいことのすべてなんです。

考えてもみてください。小学2年生に、自分達が打ったボールを拾いなさいと言ったところ『嫌、だってお金払ってるもん』って言われてみてください。。。そんなことに目くじらを立てて怒ることないでしょう。。。いちいち理屈こねて説明する必要などないと思いませんか?『きょとん』としてればすべて伝わるでしょう。

今のは、少し極端でわかりやすい例です。なんせ市場の原理が働くと『お客様』と『生徒』の立場がごちゃまぜになります。その生徒のことを心底思って発言しても、お客様的にはアウト!となるケースもあります。その微妙なライン引きを読みながら発言していなかければ、『生徒』としてのプレイヤーを見捨てることになってしまいます。

それはしたくありません。その対応策のウルトラCが『きょとん』です。まあ、そういう理想を掲げてるだけで、実際は、キレて怒っている僕がいるのかもしれないけど。。。笑。

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