勉強とテニススタイルの関係!
こんにちは!今日の記事は全く持って、僕の個人的なコーチ経験の中の統計によって、考えたものです。
たくさんのジュニアプレイヤーを見ていると、テニスのプレイスタイルで、そのプレイヤーの学校での成績がなんとなくわかります。しかも結構な確率で当たります。それは『ミス』とか『失敗』とか『確率』に関するそのプレイヤーの概念が、そのままプレイスタイルに現れているように思えるからです。
学校のテストというものは、正解が一つであり、その正解を書かない場合は、点数がもらえません。その正解を書けない場合は『ミス』であり、『失敗』です。学校の成績がいい子ほど、コート上での『ミス』や『失敗』に過剰に反応するように思えます。
過剰にというのは、ミスを100%なくそうとするんです。もちろんプレイヤーは全員ミスをなくそうとしてるんですが、その感覚に違いがあると思います。ミスに対する許容度に違いがあります。例えるなら、科学者と一般人のリスクに対する表現の違いに似ていると思います。賞味期限を1分過ぎたおにぎりがあるとします。科学者的な物言いだと、『安全とは言い切れない』とかいう表現になります。一般人だと『それくらいなら大丈夫』になります。
学校の成績が良い子ほど、『ミスショット』に過敏に反応します。まるで、重大な過ちと犯してしまったように感じる子もいます。ミスした途端、自分はいつまで経ってもうまくなってないと落胆してしまう子もいます。
逆にミスしてもケロっとして全く気にしてない子もいます。テニスというゲームの中のミスは取り返しのつくものであり、エースを狙うなら、当然取らなくてならないリスクの結果でもあります。そして、ミスの全てが原因と結果で語れるものでもありません。
言葉にすると『ミス』ですが、プレイヤーによっては、気にするほどでもない事故と思う人もいれば、重大な事故と感じる人もいます。後者は学校の成績が良いジュニアに多いような気がします。
将来、ミスの許されない日本社会で活躍するには良い人材で頼りになりますよね!でもテニスはあくまでゲームですから、『ミスをゼロにする』ことだけで勝てるものではありません。例え守備的なスタイルのテニスでも、ミスはつきものです。ミスに対する許容度がどれくらいあるのかは、テニスの勝利には必要な能力なのかもしれません。
ミス=深刻な失敗ではなく、ミス=起こるべきもの、避けようのないものという意識があればいいのかなと思います。その意識のなかでミスを減らしていけばいいのかなと。。。
でもそれって人間の持つ先天的な危機意識の差のような気もします。学校の成績が良いジュニアは、完全にミスしないことを目指してしまう。その結果、スピンの量が多くなりすぎたり、小技に頼りにすぎたりする傾向にある気がします。そして感覚的に考えるというよりは、左脳を使って言語化して考えているような気がします。
大学テニスでも、京大や阪大は、頭の良い学校のテニスだなぁ~と思うテニスをします。ミスがなく、丁寧にゲームを組み立てます。これがいやらしくて強いんです。もちろんインカレレベルには粉砕されてしまいますが。。。(ごめんなさい)
勉強が得意なジュニアには、テニスというゲームにおける『リスク』を、きちんと成文化して教えることができると良いプレイができるようになるかもしれません。でもそもそも、その『リスク』を成文化することは不可能というか、個々の先天的な危機意識をテニスというスポーツに必要な程度の危機意識に軌道修正する『言葉』をかけ続けることしかできないと思います。
でもね、難しいんだな、これが。。。当たり前ですよね、それはご両親から引き継いだものだし、その子が生き抜いて行くにはものすごく大切な感覚なんだから。テニスコーチなんかにその感覚自体を変える影響力はない。。。
世の中全員がアスリートのような社会感覚になった世界なんて、危険すぎて住めないですよね。一般の会社務めの方からすると、僕達の業界なんて『てきと~人間』の集合体かも。なんて爆弾発言をしてみる。笑。でもみんな熱いし、他人に迷惑はかけないし、労働もするし、納税もしてるし。。。フォロー遅いって?笑!
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