勉強ができる頭の良さとテニス
本日のブログの内容は、全くもって僕の個人的な意見です。
以前のブログにも書いたけど、勉強ができる子はどうもテニスの要領の部分が理解しにくいのではないか?と思うことがある。性格が真面目で手抜きを許さず、何かというと考えすぎてしまう。結果として、エースで終わるポイントとエース級のウイナーで終わるポイント以外のポイントをことごとく落としてしまう。
スポーツは運動能力が高いだけでなく、頭も良くなくてはならないとよく言われる。テニスはコート上では、自分一人で判断しショットを瞬時に選択して打っていかなくてはならない。
その場合の頭が良いと、勉強、特にテストで良い成績をとることができる頭が良いというのはどう違うのだろう。。。
先にあげたように、エース級以外で決まるポイントが取れない。全部のショットをがむしゃらに打って、ミスを繰り返してしまう。抜くところを抜けないというか、要領が悪いというか。。。要領が悪いという言葉を使うと『要領=手抜き』というように捉えてしまい聞いてもらえない。
真面目な子の頭の中について2つの仮説を立ててみた。
①自分の限界を作る事が嫌なので、ショットの質を磨き続けようとしている。入らないのは仕方が無い。いつか入るようになると思っている。
②ゲーム全体としてテニスを考える事が苦手で、単一のショットのみに頭を使っている
①に関しては、ある意味微笑ましいことだと思う。ただ、入らなくてもいいというのは勝てなくてもいいということに等しい。いつか入るようになれば、勝てるようになると考えることは、否定できる発想ではない。そしてその発想の根源にあるその子の頑固さが、勉強で好成績をあげる原動力になっているのかもしれない。
②に関しては、解決が簡単そうで難しい。テニスを戦略面で指導すれば解決しやすそうに思える。でもテニスのショットは単に『打つ』とか『つなぐ』とかいう言葉で表現できてしまうほどシンプルではない。『打ちながらつないでる』時もあれば、『つないでるけど攻めている』時もある。
その勝負に必要な感覚は、言語化、成文化できる代物ではなく、日々の練習や経験からくる無意識的なものに近いと思う。
そして勉強のできる子は、大学くらいでテニスは確率のスポーツであると理解し、とにかくミスをしないテニスをして急に強くなったりする。
まあ、深く考えすぎることはないんだろうと思う。テニスも全日本レベルで勉強も有名大学レベルという選手もいますからね。ただ、文武両道は素晴らしいと言われた時代があったけど、(いまもそうなのかなぁ?)どちらかで突き抜けたいと思っているのに、お互いに弊害があるようならそれは問題だと思う。
スポーツ選手で学校の成績が良かったという話はたくさん聞くけど、でも東大に合格したとか、医師や弁護士の国家試験に受かったという話は聞いたことがない。(アンチッチはテニス引退後に弁護士になったみたいだけど)
ゼネラリストよりもスペシャリストが良いというなら文武両道ではダメなんじゃないの?
僕らの時代の文武両道は、両道といっても『文』に偏りすぎないでね程度の『武』だったような気はしますが。。。
これからの子供達にはどんな教育がいいんでしょうね。。。
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