変わっていく。。。
こんにちは!
橋下さん、自分の意見をしっかり持ってる。
自分の言葉で話している!
そして討論の勝ち方を知っている。
大学教授さんの言い分もよくわかる。
討論の勝敗としては、負けた感があるけど、
子供達相手の仕事もしている僕からすると、言ってることはわかる。
教育とは市場の原理に左右されると何か危険なような気がする。
でも条件付きで大丈夫なような気もする。
条件とは、システム構築の際にしっかりと話し合って決めること。
そしてどのみち、橋下さんのいうように変わっていくと思う。
先生の評価を子供とその親が下すような時代がくるだろう。
どのような評価システムを構築するのか?それにかかってくるだろう。
なんやようわからんけど、先生がそうせいって言うてるからやってみようかな。
ってな具合で教育が進んでいくことは困難になっていくんだろうなぁ。
それを肯定的に考えるのか、
否定的に考えるのかで授業の仕方も変わってくるだろう。
年配の先生ほどやりにくいだろうなぁ。。。
テクニック的にはソツなくこなすけど、華があるわけでもない、
でも子供達一人一人をよく見て、良い方向に導いていく。
そんな先生ってなかなか評価されにくい。
数字では評価しにくい『何か』を持っている先生は評価されにくい。
でもまあ、その先生に力があれば、やり方を変えてくるんだろう。
教育や医療が市場の原理にのせられるというのは、
その消費者、つまり教育を受ける子供や、医療サービスを受ける病気になった人にとって
過酷なものかもしれない。
授業を受ける前に、良い先生探しをしなくちゃならないし、
一回良い先生探しを始めると、一生それを続けないといけない。
もっと良い先生がいるはずだという強迫観念からなかなか抜けられない。
一人の先生に絞るにしても、あまり求めすぎてもいけないから、
このくらいで我慢しておこう的な視点になるだろう。
先生なんだから、信じて学ぼうではなく、
これくらいの先生で我慢しなければ的な姿勢で授業を受ける。。。
まあいいや。あまり悲観的に考えないようにしよう。
二人のやりとりのなかで興味深いのがあった。
橋下「教育者は民意をうけていない」に対して
山口「民意をうけたら教育なんてやってられない」
と返した。このやりとりだけをフォーカスして見ても、
時代は変わりつつあるのがよくわかる。
もう見えない『何か』に期待する時代は終わったんだ。。。
教育者はその道のプロだから、
教育を受ける人が見ることができない教育のために重要な『何か』が見えている。
教育を受ける側は、その『何か』の存在やその『何か』の正体を知らないからこそ、
努力を続ける意味があるし、そこで学習という人間が持つ機能が発動する。
でも、もう『何か』なんて言ってられない時代になる。
閑話休題。。。
この討論では、山口教授はなんかかわいそうだった。。。
背負う物がたくさんあって、
余計な戦いをしたのかなぁ、なんて思ったりもする。
僕としては、話を合わせながら
橋下さんが新しくしたいというシステムについて聞いてほしかった。
例えば、橋下さんは以前、TV番組で『教育現場での鉄拳制裁は必要だと言っていた。』
子供のためを思っての愛の鉄拳は、重要であると。
でも、どのような評価システムでもって『愛の鉄拳』を評価するんだろう?
教師が真剣に子供のことを考えていることをどのように評価するのか?
そのビジョンを聞いてみたかった。
会社でも、上司の評価を部下がするというのは、ある意味理想像ではあるけど
部下の能力も高くないと、しっかりとした評価なんてできないと思う。
でも、まず『変える』ということを決定する。
それ以降は考えながら、人間全員が成長しながら
その社会がうまくいくように工夫していく。
そうしないと今までの仕組みではもううまくいかない。
そのように橋下さんは言ってると感じる。
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