木曜日は本の紹介!


こんにちは!
あるチェーン展開するカフェで、
出てきたコーヒーのカップが濡れていました。
バイトさんかすると『それくらいたまにはいいだろ』ってもんで、
社員の店員さんも『チェックもれくらいしゃーないし』ってなもんで、
雇われ店長さんも『クレームにならなきゃいいし』ってなもんで、
飲んでる僕も『まあ、こんくらいええけど』ってな感じです。
『美味しいコーヒーで喜んでもらおう!』っていう
当事者意識が存在しない組織。
そして社会人ならそれくらい理解してるので
文句言わないおいら。。。
紹介する本はこちら。
「当事者」の時代 (光文社新書)/佐々木 俊尚

¥998
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実際この本で述べている当事者性というのは、
もっと深いものです。
日本人は自らのことを語らずに、
弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する
マイノリティ憑依に陥っている。

と作者である佐々木さんは書いてます。
実際、仕事などのプロジェクトでも当事者意識というものが
持ちづらくなってきていると感じます。
その裏には、評価主義の中で強く言われる『自己責任』という
ある種便利な言葉が大きく影響していると思います。
自己責任がないもの、または取りようがないものに関しては
当事者意識を持たなくても良いという雰囲気が蔓延していると感じます。
コーヒーカップがちょっとだけ濡れているというのは、
別に誰のせいでもありません。
気づいた人がちょこっと拭えばいいだけです。
洗いたてで乾いていなくても、
カップを用意しろって言われたから出しただけ、
濡れてるの気づいたけど、
俺の領域の仕事じゃないから運んだだけ、
今のペースでお客さんをさばくには
スタッフ足らないって感じてるけど、
それは店長の仕事やから黙ってただけ、
本店から経費率とかぐだぐだ言われるから、
人件費ぎりぎりでやってるだけ、
ってな感じ。
責任を負わなくてもいいとこは、しーらないってのが
『自己責任』のなれの果てだったりする。
結構重要なことやけど、
誰の仕事としても割り振られてないって仕事は
気づいたその人の仕事。

っていうようなことを内田樹さんが言ってた気がする。
まあ、スペイン人は
『時給700円なら700円分の当事者性しかもたないわよ』
ってな感じで仕事してたけど。。。
日本も世界標準に溶け込んでいっている。
グローバル化って便利な言葉で解釈してしまっていいのかな??
どんな組織にするのかは、
各組織が選択すればいいか。。。

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