いろいろな格差!ぶきっちょでもええでないか~!
数年前から聞くようになった言葉に、
『格差社会』があります。
明らかに、この言葉はマイナスイメージで
使用されています。
なぜ、格差はあってはならないのでしょうか?
大前提として、経済的な貧困層が、
いくら努力しても報われず、生活が改善されない、
そのような『格差』はなんとかするべきだと思ってます。
でも、なんでもかんでも『格差』をなくすと、
逆に人の心の中に歪みが生じてくると思うのです。
テニスでいうと、同じだけ練習してもその結果には格差が出てきます。
その格差には2種類あると思います。
①先天的な才能による格差
②学ぶ能力や器用さなど、
結果がでるスピードによる格差
注目すべきなのは、②です。
この『格差』は歴然と存在します。
しかし、この『格差』はマイナスでしょうか?
早咲き、遅咲きという言葉があります。
器用である。
家族がテニスに一生懸命。
ミスが少ない。
このような理由で、早期に結果がでるプレーヤーはいます。
しかし、指導者は早咲き、遅咲きをしっかりと見極めて
育成していくことが、大切だと思ってます。
早咲きなだけで、ちやほやされては
努力できないプレイヤー、もっと言えば、
社会性に欠ける大人になってしまいます。
テニスクラブの構造にも、問題点はあると思います。
早咲き、遅咲きの区別がなくなる
19歳から23歳くらいまでの年齢で
テニスにどっぷり浸かることのできる環境が、
日本にはありません。
ごく一部の大学だけは、テニス中心の生活ができますが、
そこに入れない『遅咲きプレイヤー』は、
テニスが弱かったというレッテルを貼られてしまう。
『みんなが主役』という、世の中の風潮もあいまって、
主役なのにテニスが弱いという設定になってしまい、
そういう自分を低く評価してしまう。
ベストを尽くしたなら、
与えられた環境でのゴールをむかえられたなら、
自分を高く評価すべきです。
なのに、低く評価してしまう。
ここに心の歪みが生じてしまう。
逆に言えば、評価が得られなければ、
頑張っても意味がないと思ってしまう。
「ナンバーワンにならなくていい、
もともと特別なオンリーワン」
っていう歌があったけど、もともとオンリーワンなんて、そんな幸福な人はいないでしょ!笑!
もともと、みんな周りに人と対して変わらないから、
平等に扱われないといけないし、
平等なチャンスと平等な評価が必要!
平等なチャンスと平等な評価の中で
オンリーワンを目指していく!
『格差』の部分を、盲目的に悪とせずに
もともと存在するものとして定義して
平等なチャンスと平等な評価をしていくことが、
コーチには求められている。。。
ん~~、良いこと言った!
(自己満!自己満!)
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