参加してはならないレース!


僕はテニスというスポーツに出会って、本当に良かったと思っている。
始めたのは、高校二年と遅いが、テニスによって人生が好転し始め、今だに幸せな毎日を送っている!
だからこそ、『テニス』をしょ~もないことに使われると腹が立ったつ!!
ズバリ、小学生でのランキングポイントを競う大会に必要以上に、血道を上げることがそれだ!
でもそれは、参加してはならない大会ではない!
僕が言いたいのは、参加してはならないレース!
短期的な結果を求めて躍起になるレースだ!テニスに夢中な子供達の将来を本当に考えてあげれば、無意味な結果優先レースであることは容易に想像できる。

小学生の時点で、結果を求めすぎることのマイナス要因を3つあげます。
①大きな器のテニスが育ちにくい。
②親にも過度の負担と、間違った期待を抱かせる。
③子供が、気づいてはいけない時期に、自分の限界に気づいてしまう、もしくは限界と勘違いしてしまう!
①については、よく言われていることだと思う。
この時点で勝つのは、ミスの少ない子でありエースをとれるテニスではないこと。
(もちろん誰もが評価する良いテニスで勝っている場合は問題なし!)
②についてもよくあること。
最近では、女子の石津選手やあのヴォズニアッキ選手もコーチはお父さんです。

基本的に、頑張っているジュニアは親御さんも含めて家族ごと応援したい。

ただ頑張りすぎてしまい、子供のテニスの結果がでない時に、自分が悪いと思ってしまうのはよくないと思う。

③は指導者として悲しい現実です。

学校テニスと違って、一般のテニススクールでは3歳からレッスンが受けられます。

そして小学1、2年生ではトーナメントチームに入り、小学4年生くらいから試合に出始めます。

中学生になる頃には、自分はだいたいこれくらの選手であると自覚してあきらめてしまう。
これからが、1番うまくなる時期なのにもう気持ちがもたない。

テニスは反復練習の積み重ねみたいな競技なので、とにかく続けないとうまくなれない。

何かの記事で日本人は今、1億総うつ病状態とかかれてあったが、頑張らないといけないと思いすぎではないだろうか?頑張れば物事はよくなる。頑張ればなんとかなる。という考え方は経済が順調に成長している社会でないと成り立たないと思う。もはや日本の経済成長はぴったりと止まっている。というか落ちていっている。

『頑張れ信仰』はもう通用しないというか、我々の体がもたないのではないでしょうか。

私が留学していたバルセロナの人々は、そのあたりの精神状態の保ち方が本当に上手でした。

経済状態はみなさん御存知の通り良くないですが、世界中が経済危機に陥って元気のない中で、

サッカーはワールドカップ優勝、テニスは世界ランク1位のラファエル・ナダルを筆頭にたくさんのTOP100プレイヤーがいます。よくも悪くも、芸術や文化、スポーツを育てる土壌があの街には存在します。

留学中にテニスで伸び悩み元気のない私にいつもコーチはこう言ってくれていました。

『たかがテニス!』

元グランドスラムプレイヤーだったコーチも、明らかに私よりもテニスができないコーチも言うことは同じです。

『たかがテニス!』

『たかがテニスくらで落ち込むな。人生には他に大切なものがたくさんある。』という意味です。

我々は、努力家である民族性ゆえについつい彼らの言う『大切なもの』を犠牲にしてしまいます。

もっと言えば、それを犠牲にすれば良い結果が出ると思ってしまいます。でもその考えは経済の安定は別として、芸術や文化やスポーツを育む考え方としては間違えているといえると思います。

そして興味深いデータとしては、2004年(少し古いデータですいません)の労働生産性(利益を労働時間で割ったもの)では、OECD加盟国の中でスペイン18位、日本19位で負けています。

私達は、努力至上主義によって何か空回りしているのではないでしょうか?

大会に向かう車の中で、小学高学年のプレイヤーはどんな表情をしているでしょうか?

猛暑でも極寒でも頑張って大会を運営してくれているスタッフのためにも、参加する価値のある『大会』にすべきであり、参加する価値のない『レース』にはなってほしくないと思う。

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ガラパゴス化。。。 (2010年8月9日)

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