テニスが野球やサッカーのように世界で通用しない理由 Part5


こんにちは!今日は遠吠え!テニスが野球やサッカーのように世界で通用しない理由 Part5!でいってみよう!今日は主に、我々日本人について考えてみたいと思います。考えるにあたって、参考文献として一つの書籍を使います。以前のブログで紹介した内田樹さんの『日本辺境論』です。(青い文字で書いてあるのはすべてこの本からの引用、もしくは要約したものです。)読みながら、とにかくその通りだなぁと感心しっぱなしの本です。テニスの世界を語るのにもかなり役に立つと思います。

では、まず『きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める態度こそはまさしく日本人のふるまいの基本パターンです。』というフレーズ。

テニスプレイヤーも指導者も、どきりとするフレーズですよね。。。スペインのように、一つの哲学や練習方法を疑いもせずに、コツコツ続ける事が不可能であるのがよくわかる一言。悲。7年前、バルセロナから帰ってきた僕は、バルセロナで学んだ通りの練習を取り入れていました。これを3年間コツコツと続ければ、必ずいい結果が現れてくると確信していました。でもこれが上手くいかない。。。プレイヤーもきょろきょろするし、僕もだんだん耐えられなくなってきょろきょろしてしまうのです。一つの哲学で貫けば、結果につながると思っていましたが、簡単なことではありませんでした。

続いては要約ですが、『日本は理念があってできた国家ではない。アメリカのように国家誕生の初期設定がなく、自分達の物語を語らない。その変わりに、他国との比較を語る。』

またドキッとしますよね。とにかく、日本のテニスと他国のテニスとの比較を語ることは、全員できるのに、日本のテニスの理念を語ることは誰にもできない。世界1位を目指す為にのみやるのか、スポーツによって人間性を高める為なのか、そのような話が統一されることはない。。。その原因は、国家の誕生の初期設定が明確でからであると。それは、本当に感じることが多いので納得できます。僕達日本人は、自らの中に「これでいいんだ」というような、明確な理念が何においてもない。努力、根性かと言われればそうでもなく、放任主義かと言われても何か違う。。。絶えず、理念や方向性を確認しなければならないのは、僕達の細胞一つ一つの中に『日本人とはこうあるべきだ』という明確な理念が存在しないからなんですね。。。それが存在するなら、特に確認しあう必要はない。絶えずそれを探そうとする行為こそ、『日本人であることの明確な理念』をもってない証拠なんですよね。。。

そして次のフレーズ、『日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。』

よく言われる、真似するのは上手いけど。。。ってやつ。江戸時代末期の日本では、世界標準に追いつくことが重要であったが、明治時代末期には、世界標準を追い抜くことであった。江戸時代末期では、いわゆる明治維新は成功したが、明治時代末期の日露戦争以後の戦争では、失敗の連続だった。今でも間違いなくそうだと思う。例えば、テニス後進国(まだテニスが普及されていない地域)に出向いて、テニスを普及させようとする活動をしたなら、日本人はかなりの腕前を発揮すると思う。これまで、自分達は後発者の立場から、成功例をまねて進歩してきたデータがあるからだ。実際僕の友人で、モンゴルのテニスの発展に貢献したコーチがいる。ただ、先行者の立場から考えることができない為に、さかのぼって今の自分達に必要なことを考えることが苦手なんだと思う。世界ランク1位になった自分達から見て、今の自分達にどのようなアドバイスをするのか?そういうことを考えることができないのが日本人なんだと思う。

そして『国際社会はどうあるべきかという種類のイシューになると、日本人は口をつぐんでしまう。』

日本は第二次世界大戦で敗れる30年前に、ベルサイユ講和条約で、平和主義・国際協調に向かう新秩序にあからさまに非協力的な態度をとって、列国の指導者の信頼を失います。そしてその30年後、戦争で勝ったロシアがしそうなことをそのまま真似して、大東亜共栄圏を目指し敗れます。。。テニスがどうあるべきかなんて聞かれても、答えられない。とにかくテニス先進国、テニスを成功している人から学ぶ、それが民族性なんですね。。。

そして最後に『自分の主張について、それを主張するに先だってその正しさを担保する保証人はいない、でも私達はそれを外部の上位者に求めてしまう。』

自分の中に正しさはなく、外部にあるという考え方は、辺境人そのものだと著者は言ってます。その通りだと思います。俺はこういうテニスのスタイルでいくんだ!俺はこういう指導のスタイルでいくんだ!と言っても、結局心の何処かで、上位者に保証してもらいたいというのが日本人。大体、本当にそういうスタイルがあるなら、主張なんてしないですよね。。。それはものすごく理解できます。明日からこうするとか主張する人に限ってものすごく意志が弱かったりする。意志が強い人はもともと宣言なんてしない。もともとスタイルがないから主張してしまう。。。
そして、テニスに関して述べられていることは、今日紹介したフレーズでかなり丸裸にされますよね。。。テニスをよくする為に語っていることは、我々が日本人であることを立派に証明している。。。
海外から学ぶ。けれども、自分達の中には、こういうスタイル、こういう哲学でいくという発想はない。これが日本人なんです。が~~んですよね。。。確かにサッカーでも、体は小さいけどスピードがある特徴を生かしていくというコンセプトはあるけど、具体的にこれでいこうという形はない。。テニスも同じで、アメリカはこう、スペインはこう、って言っても日本はこうってスタイルはない。聞いたことがない。。。だからこそ、戦いながら、学び、考えていくしかない。こんなとこでブログ書いてても駄目ってことか。。。笑。ではまた次回も辺境論でいきます!

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テニスが野球やサッカーのように世界で通用しない理由 Part4

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