パラダイムシフトはいつだろう?


こんにちは!水曜日は遠吠えブログです。
世の中には、全く相反する情報や意見があります。そのおかげで情報の受け手は、自分で考えて偏りのない独自の意見を作り出すことができます。必要なのは、色々な情報を収集して自分で考えることです。氾濫する情報から逃げてもいけないし、その洪水に流されてもいけません。
以前、中村藍子選手がトークイベントで『江坂テニスセンターでは中学までは勝たなくていいと言われた』と語っていたみたいです。目先の結果よりも、大成して欲しいというメッセージが込められていると思います。
また先日アップされた大阪のテニスコーチのブログにはこんな内容がありました。最近は、小学生でトップにいる選手がそのまま高校までトップにいるケースがほとんどであると。以前のように入れ替わりがないということです。
この二つの情報は相反するものです。中村選手のコメントでは、選手育成は目先の勝利にこだわるよりは、長い目でしっかり育つことが重要であるということが読み取れます。対してその次の情報では、小学生でトップにいないとずっとトップにはなれないというように読み取れます。中村選手の場合はグランドスラムに出場するほどの選手ですが、大阪のトップは今後どうなるかわからない、そのことはちょっと横においておきます。
中村選手が中学時代からもう15年ほどが経ちます。ジュニアをとりまく環境も変化しているということでしょう。中学までは勝たなくていいというような呑気なことは言えなくなってきているのかもしれません。その理由としては、①ジュニアプレイヤーの指導やマネイジメントの主導権がコーチから親御さんに移ってしまったこと。②ジュニアスポーツにおいても結果のみが評価対象になってしまったこと。があると思います。
僕は①も②も悪いことだとは思いません。ある種当然のことというか、しょうがないことだと思います。いくら指導者が短期的な視野で育成すると大成しない的なことを言っても、実際は小学生から強い子がそのまま強くなってしまう現状がある。小さいうちから差がつくので、本当は追いつける差でも、大きい差のように感じられてしまい、モチベーションの維持が難しいのかもしれない。上達に必要な停滞期が我慢できないのだろう。
ではなぜこうなってしまったのか?これには、教育の現場である学校で起こっていることと同じ現象が起こっていると思う。内田樹さんが学校教育について語ったインタビューを以下に紹介します。
学校と親が利害の対立する緊張関係にあり、それによって教育がよくなって、子どもたちがニコニコ笑って勉強をするということはあり得ないわけですよ。どういうふうにしたら学校の教育環境が気持ちのよい、のびのびと風通しのよいものになるかをまず考えなきゃいけない。

(中略)

とにかくよくないのは数値化ですよね。教育のアウトカムを数値化することに僕はずっと反対してきているんです。そんなの、できっこないですよ。「市民的成熟」なんて、どうやって数値化するんですか。たまに「内田さんはどういう目標を掲げて学生を育てようとしているのですか」って訊かれるんですけど、僕は「卒業した後に幸せな人生を送れること」と答えています。
学校教育とテニスの育成を同等に見たてて論ずることはできないと思いますが、重複している要素はたくさん存在していると思います。最初にある『学校と親とが利害の対立する関係にあり』というところに注目します。勘違いしないでくださいね、僕は親御さんと対立しているなんて思ってませんよ、笑。社会論のお話です。くれぐれも。笑。
テニスを通じて真剣勝負から学ぶことを大切にし、体力もつけていく。というのがテニスクラブが共同体として提供できる利益です。それに対して、プレイヤーを勝たせて実績を上げることが親御さんの利益であるとします。(そうではない方もたくさんいらっしゃるのは知っています。でもここではそう仮定します。)この利害関係は対立してしまいます。テニスはトーナメントで大会が進みますから、誰かが勝てば、誰かは負けます。テニスクラブに所属する全員が勝つことはありえません。学校でもそうですよね。全員が東大京大に入ることは不可能です。このような状況で練習環境がのびのびとしたものではありえないのは当然だと思います。
当然モチベーションは下がります。プレイヤーがうまくいかなかたり、成果が少しでもでないと意味がないことをやっているように感じてしまう。意欲格差がうまれてしまう。逆に、うまくいく子は意味があると思いさらにやる気が出る。その次の数値化もそうですよね。テニスの成果を数値化して戦績でしか評価しないのは、心苦しいことです。
テニスクラブも学校も個人の利益ではなく、共同体として団体の利益を考えてできあがったはずです。その仕組みがもたなくなっています。数少ない成功者のために学校やテニスクラブは存在するのではないはず。
でもこの流れは加速して止まらないだろうと思います。いつの日かおおきなパラダイムシフトが起こるまでは。パラダイムシフトとは、Wikipediaによると、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言います。
それを少しづつでも構築していくのは、現場の人間だと思います。学校の先生でありテニスコーチです。問題意識を持ち続けることです。騙され続けないことです。世界を目指すようなトップジュニアのみしか存在しないテニス界になってしまうかもしれません。その方が世界で活躍する選手が増えるかもしれない。
勉強に例えると、頭がいい子しか勉強しない世の中になるということです。そのような仕組みの国も存在します。ドイツとかシンガポールは、小さいうちに一生挽回が不可能な受験があるくらいですから。
話はそれましたが、答えのでないこのような問題に少しでも答えられるようにすることは、決して無駄なことではないと思う。こうやって考えていることは、パラダイムシフトが起こった後では、暗黙知として消えてしまう。どのような過程から新しい仕組みができたのかを理解することは必要だと思う。最新のフォアハンドストロークだってそんな暗黙知の固まりなんだから。
ブログをやり始めて、様々な人からメッセージが届くと思うことがある。情報や感情などが本当にうまく伝達できていなのだ。コーチも親もプレイヤーもみんな熱心なのに、その熱心さの伝達がうまくできていない。これはかなり大きな問題だと思う。要するに、想像だけ膨らんで誤解が生じて、お互いが信じられていない状態。学校の先生も同じだと思う。かといって飲みニケーションなのに代表される情報伝達文化はどんどん衰退していくだろう。
今後はFacebookやTwitterなどがその代役をしていくと思う。Unicode言語の発達により、海外のネットの仕組みがそのまま日本語で使用できる様になっている。これまでのように、日本独自の形式に改めなくても使用できるようになっている。時間差のない直輸入でSNSが使用できる。新しいコミュニケーションの形がパラダイムシフトを生むような気がしている。気がしているだけだけど。。。
そしてそれプラス生のコミュニケーション。現段階では、インターネットはまだまだマスメディアの補足的な役割でしかない。今後しばらくはそうであろう。今回のブログを書いていて、また生のコミュニケーションも大切にしようと思った。実は、平等性の観点からジュニアの親御さんとのコミュニケーションを控えていた。全員と平等というのは不可能だからだ。でもまた解禁しようと思う。でも今度からは、以前と違って僕の言いたいこともガンガンと言おうと思う。新たな形で復活だ!そしてパラダイムシフトを起こすのだ!笑!

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