残念だなぁ。。。
『残念だなぁ。。。』
その時、そのプレイヤーの表情に吹き出しでセリフをつけるとしたら、この言葉が1番であるように思えました。全日本ジュニアの準決勝。第一セットの5ー6相手サーブで15ー40(たぶん。。。)、リターンをしっかりと打ち、数本のラリーの後、ベースラインから強打し、相手の返球を果敢にドライブボレーにいったけど、惜しくもアウト。。。その時のその少女の表情です。
一指導者としての目か、それとも一テニスファンとしての目か、はたまた一通りすがりのおっちゃんとしての目か、どれが僕の中で機能したのかは分からない、もしかしたら全部かもしれない、でもその少女の全てを懸けたドライブボレーのミスの後の表情に非凡な何かを感じました。
己の全てを懸けたショット、そう口で言うのは簡単です。
ここは全てを懸けて決めにいく!(入らなかったら仕方ない。。。)
練習通りやってきたことをここで出しきる(それで負けたらしょうがない)
このかっこの中の部分は、本当はない方が良い。かっこ内のセリフは、己を懸けるということの純度を下げてしまいます。大人になればなるほど、言い訳や逃げ場を作ることが上手くなるので(それが悪い訳ではないと思うけど。)純度は下がっていくと思います。
その純度が高いほど、素晴らしいプレイヤーだと僕は思います。
ではなぜ、彼女のそのミスに惹かれてしまったのか?なぜ彼女はそこまで純度の高い必死さを表現できるのか?
僕の想像で書いてみたいと思います。
それは、テニスをすることに幸せを感じているから。それはオンコートでプレイすることではなく、テニスのある生活に幸せを感じているからだと思います。
テニスは『ゲーム』です。だから別に上手くなろうが、なるまいが、強くなろうが、なれなかろうが、どっちでもいいと思ってます。(指導者としては暴言かな?苦笑。まあ誤解は解けるので最後まで読んでくださいね。)
ゲームはゲームでもTVゲームとは違います。ハードな練習とプライドを懸けた戦いは、勝ち負けの比重は、人生を懸けるといってもいいくらいにまで重くなります。
それだけに、負けるということをどう捉えるかで先に書いた純度に大きな差が生まれるような気がします。負けたのはあくまでゲームに負けたのです。そのゲームにチャレンジする為の地道な練習や、ゲーム中に最後まで諦めずに戦ったそのチャレンジの集積が否定されたわけではありません。
日々のチャレンジの積み重ねに幸せを感じられる能力があれば、より純度の高いゲーム=『人生を懸けた勝負』=『本質はラケットをボールを使った遊び』に没頭できるのでしょう。
ビジネスマンでも結果、数字で判断されます。ジュニアのテニスも同じです。他人は結果でしか評価しません。
そのプレッシャーにいかに立ち向かっていくのか。プレッシャーは無視できません。強かったり期待されている選手ほどプレッシャーは大きくなります。
そのプレッシャーを跳ね除けることが日々の幸せとなっている。優れたコーチとご両親の成せる技だと思いました。そして何より彼女のプレッシャーから逃げないという才能が生み出した表情だと思いました。
実は今年、同じように『残念だなぁ。。。』と感じた表情がありました。ウインブルドンの伊達対ビーナスのマッチポイントで伊達さんのバックのパッシングショットがほんのちょっとだけサイドアウトした時の伊達さんの表情です。
そう言えば、ウインブルドン決勝ナダル対ジョコビッチでのマッチポイントのナダルのパッシングショットがアウトした時もそんな表情だった気がします。
僕も日々の仕事であんな『残念だなぁ。。。』という表情を作れるようになれば、もっと良いコーチになれそうだ。日々の幸せが、ぷしゅ!っと缶ビールを開ける瞬間のおいらでは、全くおよびでない気がするが。。。。
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