『頑張ること』と『頑張りすぎないこと』


こんにちは!
バルセロナ留学でさまざまな地域、国籍のテニスプレイヤーやコーチを見てきました。実際に海外で生活してみると、日本から脱出したことのなかった時に、思っていた『外人って。。。』みたいな思い込みは結構間違っていたなぁと思った。
よく日本人は真面目で、根気よく努力家であると評されるけど、当然海外にもそんな人は山ほどいる。
もちろん割合から言うと、日本人は真面目で努力家の割合が多いかもしれない。でもそれは、学歴社会とか企業文化の中でそうせざるを得ないという、言わば、強制的なものであり、『日本人』という古事記から始まる日本人の歴史の中では、つい最近の出来事ではないのかなぁ、とも感じる。
別の角度から言うと、日本人の『頑張ること』とは、国際基準でいう『頑張ること』とは違うのではないかと感じる。
日本人は、『頑張ること』と『頑張りすぎること』を同じだと考えていると感じた。2つの間で、バランスを取り、『頑張りすぎない』ようにする教育というものを受けていない。
そろそろ日本人には、この『頑張りすぎること』を防ぐ能力が備わってくる時期というか時代になってきていると思う。もう『頑張りすぎ』ても何も成長しないのだ。必要なことを、必要なだけ『頑張ること』が『真の頑張ること』であると学べる時期にきていると感じる。
『頑張ること』と『頑張りすぎること』の違いを把握できるように、『頑張ること』が求められるのら!笑!必要なこととはどのくらいなのか?理解する為に『頑張りすぎる』のだ。笑!
ただ、子供の頃にやるスポーツは、『頑張りすぎる』ことが重要であると感じる。でもこう感じることもある種の嗜好が入っているのかもしれない。そういう子供が好きなだけかもしれない。。。

金曜日のブログ
にも書いたけど、競技テニスを小学生から頑張ってきたジュニアが、中学生くらいで辞めてしまったり、テンションが下がってしまうということが起こりやすい。これもある種、頑張りすぎてきた、またそのような環境にならざるを得なかったという現状があるのかもしれない。

まあ、それも競技テニスにおける、淘汰の一種であると言われればそれまでだ。

ただの勝った負けただけでは、当然続かない。競技テニスをやるなら、『競争心』がなければ、続かない。結果が出るその瞬間まで競争できることが重要だ。練習中から、マッチポイントが終わるまで競争し続けなければならない。

『競争心』がうまく育まれないと、『頑張りすぎ』てしまうのかもしれない。上手く言葉にはできないけど、競争から逃れようとして『頑張りすぎ』の『すぎ』の部分が、発生してしまうのではないか?とも感じる。やっぱりうまく言葉にできない。そのうちで出来るようになるだろう。。。

さあ、たっぷりとウジウジと考えたので、また明日から元気にコートに立とう!

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