対話の体力


子どもたちには、できるだけ正解をすぐに言わずに子どもたち自身が自分の力で正解にたどり着けるよう導きましょう。

こんな言葉を聞くと、指導者としてテニスもそうだなと思う。
でもいざコートに立つと、すぐに正解を口走ってしまう自分がいる。

次こそはそうならないようにしようと思っていても、なかなか対話が続かない。
言葉のキャッチボールは数往復はあるものの、私も選手もどこかで聞いたことがあるようなやりとりをしていて、
結局は2、3往復でどこかに書いてある結論に落ち着いてしまう。

そんな経験をコートで繰り返すたび、なんか違うんだよなぁって思っていました。

そんな時、ふと脳裏に蘇ってきたのは、食事中、コーヒー休憩中、そして時にはコート上でも、永遠に喋り続けるスペイン人の姿です。
よく毎日、毎日、そんなにしゃべることがあるなぁと思うほど、コート同士で、またコーチと選手とで話をしていました。

バルと呼ばれる喫茶店でも、多くの人が、とにかくずっと喋っています。

私も拙い語学ながら何度か参戦したことがあるのですが、構えずに議論に参加することが無理で、自分の中で一つの答えを持って喋っていました。
それは今、日本人同士でコミュニケーションを取る時も同様です結論ありきで、それを相手に主張したり、共感したもらいたくて話をしている気がします。

対話をしているうちに、喋っている2人の意見がうまく溶け合って新しい意見が生まれるということがまずありません。
スペイン人の喋り続ける姿から、おそらくですが、2、3往復の対話では全然言葉が足りないのではないかと考えさせられました。

なぜ、対話が長く続かないのか?

それは結論ありきで喋ってしまうから。
選手を前にした時、指導者としての立場を守るため、いくつかの終着駅を用意してしまうからだと思います。
また子どもたちも指導者のいうことに関係なく、自分の主張をベラベラと話すことに慣れていない。

なので結果として2人の対話から生まれるものが何もなく、どこかで聞いたことがあるような結論に落ち着いてしまう。

フォアハンドのテイクバックひとつとっても、永遠に言葉が尽きないような対話ができるようになりたいものです。
対話の体力ってどうやったらつくのかな? 対話し続けるしかないのでしょうね。

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