だらだらやるな!になぜか違和感!


先日、小学4年生のプレーヤーに、
「だらだら練習するな!だらだらやっても意味がない!」
と言ってる親をみました。

確かに、その子はだらだらと練習しているように見えました。

でも、その光景に何か違和感を覚えました。

Twitter上でそのことをなんとなくつぶやいてしまった所、

こんな素晴らしい返信がきました。

以下Twitterでの返信を引用。
だらだらやってるようでも、自己の中に経験が満ちていき、

あるレベルに達すると突然全てが理解遂行できる。

結論だけを押しきせても意味がない。

受け手側があるレベルに達していないと物事は理解されない。伝わらない。

だらだらでも経験値を積むことが大切だ。

そうです。僕の中にあった違和感はまさにこれでした。

だらだらやるという経験がないと、

何がだらだらやるということなのか、彼らにはわかりません。

今日はなんか、適当に手を抜いて練習してしまった。

彼らの頭の中に、

そんな罪悪感にも近い思いが芽生えてこそ、始めて
「だらだら練習するな!」
が有効な言葉になるような気がします。
しかし、僕もコーチという仕事上、小学4年生とはいえ、

気を抜いた練習をしていたら、『だらだらするな!』というでしょう!

仕事をしていないような気がしてしまうから。。。

時にはそのまま、だらだらを続けさせてもいいのかもしれません。。。

一番怖いことは、彼らに、

頑張ってるフリを覚えさせてしまうことです。

外から見れば頑張っているようにみえる。

でも彼ら自身は、頑張れって言われたから頑張っている。

これって、長続きしますか?

これって大きな成果を出せますか?
悪く例えてしまうと、大人が
『頑張って営業してこんかい!』
と言われて、とりあえず車に乗って取引先を回り、名刺を配り。。。
上司がやれ言うたから、

とりあえずやっとこ的な仕事では学べるものも学べない。

表現は適切ではないかもしれないけど、

そういう時に上手いこと、営業しているフリをしてだらだら怠けといて、

なんかチャンスが来たら頑張るか、

みたいな人の方がいい結果がでたりする。
それは努力を怠ってるわけではなくて、

適切な努力をしているから。

またサラリーマンの話はおいといて、ものごとの本質を掴むには、

時にはだらだらすることも必要ではないでしょうか?

だらだらやることで、これでは意味がないとある日悟り、

真剣にやることを覚える。そして、休む時はしっかりと休むことを覚える。

バルセロナでの留学で学んだことですが、日本人は休むことが苦手です。

そしてハードに練習していれば、それで満足して、安心してしまいます。
ハードに頑張っていれば、思考停止してしまいがちになるのです。
それは、だらだらした経験が少ないからでは?
一生懸命と一生懸命のフリの区別が

自分でもわからなくなっているのでは?

僕が留学していた時に、

当時はチャレンジャー大会にで始めたころの無名のマレー選手が毎日、

練習していました。

他の選手と比べて、僕達日本人の目から見ると、

彼はあまりハードに練習しているように見えませんでした。
はっきり言って、手を抜いて練習しているようにしか見えませんでした。

でもスペインのコーチは彼は世界のTOP10に必ず入ると断言していました。

理由は『頭の中がスマートだから』
なんのこちゃと思っていたら、その3年後、

彼は世界の舞台で活躍し始めます。

一生懸命は日本人の誇りであり、

とても良い文化であると思います。

でも盲目的に信じてもいけないのかなと思います。

一生懸命を越えて、真の一生懸命へ!

熱いを越えて、真の熱いへ!

それに向け、明日も
『だらだらするな!』
と叫ぼう!
iPhoneからの投稿

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL

注目記事

テニス留学・質問についてお問い合わせ