矛先


雨ばっかりですね。。。
日本ではインドアコートが数多くあるので、雨でも練習できます。僕が留学していた当時のバルセロナには、インドアはなく、雨だと室内でトレーニングのみでした。でも年間通してほとんど雨降らなかったなぁ。灼熱のバルセロナでまたテニスしたいなぁと思う今日この頃です。(もうプレイヤーとしてはいいです、笑。コーチとしてで。。。)
さて外は雨なので、なんかうだうだと考えよう。というわけで今日は『矛先』について。。。
今、僕達が生きている社会は、年功序列の名残のある成果主義社会です。いきなり完全に年功序列がなくなるはずもなく、一応上司やまとめ役は年上の人の割合が多いのではないでしょうか?(そうでもない革新的な会社もあるでしょうが。。。)
そのまとめ役の上司さんは、平社員の時に、成績が良くて抜擢されたか、年功序列で上がっていった人達でしょう。年功序列での上司って、『なんで上司なのかよくわかんない人』ですよね。上司の能力があるからなった訳ではなく、年齢が達したか、一つ前の段階の仕事ができた人達ですよね。(なんか暴言吐いてる気がする。。。)
でも、僕はだから良かったんだと思うんです。結局、まとめ役だから、個人個人の鬱憤不満の矛先は全て上司に集まる。上司はこれに耐えうる能力が必要になります。結局、なぜ自分が上司であり、まとめ役なのかが明確でないからこそ、その矛先としての孤独な境遇に耐えることができると思うんです。
部下全員の仕事上の不満をゼロにして、なおかつ成果を上げるプロが上司ではありませんよね?全員の不満を同じくらいの量に保って、成果を上げるのが仕事です。こういう作業って、成果主義のみで育ってきた世代にはできないと思うんです。なんとなく。。。
部下全員の不満をできるだけ無くそうとしてしまうような気がする。それは、自分たちが成果成果って言われ続けて不満が溜まっていたから、そうしたくないという理由ではないと思います。
成果主義時代のまとめ役というのは、構造的に『矛先』になることが不可能だからです。成果主義では、部下一人一人の成果をまとめるので、部下は成果がでない場合、自分自身を責めます。まず自分を責めてから、次に上司へ不満を持つでしょう。終身雇用、年功序列の時代は、この順序が逆だったのではないかと思います。まず、上司にキレてから、それでは駄目だ、やっぱり俺に責任があるはずと想いを改める。でも今は逆です。まず俺が悪かったと。。。俺に能力がないと。。。その次に上司に逆ギレとわかっていながら不満がでてきます。上司は、『矛先』を向けてほしくても不可能なんですね。
わかりやすく言うと、以前は、見た目は嫌な人でも、中身は良い上司であり、決して部下を見捨てるようなことはしない人達だった。でも成果主義で育った上司は、見た目は優しいし、思いやりもあるけど、部下から見れば、どこか冷めていて、成績悪いのはお前のせいじゃん的な発想が根底にあるように見えてしまう。実際にそうではないけど、そう見えてしまう。見えてしまう所が問題。。。
優しくて、思いやりがある、でも『矛先』が集まってこない。。。
現状の日本では、部下がリーダーをそういう存在にしてるんです。それが、成果主義の恐ろしさです。温もりのある職場から、笑いはあるけどぬくもりがない職場に変わる怖さがある。。。これは決してアメリカ的とか言われるものではないと思う。まあ、僕のような業務委託契約の人間には、上司も部下もないから、関係のない話なんだけど。。。
第二次世界大戦に突入していく日本では、少なくとも国民は誰も勝てるなんて思っていなかった。なのに流れは止まらずに戦争に突入した。そして負けた。。。現状の日本を悪くなっていると思ってる日本はたくさんいる。なのに流れは止まらない。
やっぱり敗戦にむかってるのかなぁ。。。敗戦って何?やっぱり財政破綻???
なんてテニスに全く関係のないことをぼけぼけ考える日曜日でした。笑。
近々、体の使い方に特化したブログを新設予定。。。あくまで予定は未定のマイペースさを持ち合わせている僕ですが。。。笑。
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