幸せであること


こんにちは!
先日、自らの発言で自画自賛と自己嫌悪の狭間で、評価を下しにくい言葉がありました。
テニススクールでコーチのをしているとよくある光景。スクール生の方が退会するというので挨拶に来てくれました。理由はよくある転勤です。
スクール生の方も、長く通ってくださると色々とスクール側の事情にも詳しくなります。コーチの評価には、継続率というものがあり、スクール生が辞めちゃうと、率が下がり、査定でマイナス評価になるということまで知っている。
まあ、そんなこと気にせずに(気にしてくれるのは嬉しいけど。。。)美容院を変えるような気軽さで去って行ってくれていいんだけど(それも悲しいか)、色々と気を使ってくれたりする。
そのスクール生の方も、気を使って『辞めちゃってごめんなさい』的な
挨拶をしてくれた。まあ、ここは爽やかに、そしてお気楽キャラとしてなんか気の利いたことを言おうとしたところ、でたのが次の発言。
『仕事の成績なんて、良くても悪くても幸せを感じられるようにこの仕事を選んでますから、どっちでもいいんですよ~~』
我ながら、『なかなか空気を壊さずに良いこと言えたな~』という自画自賛と、『なんていう仕事に対するプライドと責任感のなさだ。。。』という自己嫌悪に苛まれる結果となりました。
そんな自分のしょ~もない発言を思い出しながら、カフェでぼけぼけしていると、ある光景が蘇ってきました。
バルセロナ留学中に毎日クラブで見ていた、マレー、モナコ、ミュラー、ガバシュビリの表情です。4人とも当時はフューチャーズやチャレンジャーに出ている高校生か大学生くらいの年齢でしたが、今ではグランドスラムにストレートインする選手です。モナコはグランドスラムでもシードが付くし、マレーは言わずとしれた世界4位の選手です。現在行われているUSオープンで、マレー、モナコ、ミュラーはベスト16に進出してます。(残念ながらモナコはフェデラーに敗れてベスト8入りはなりませんでしたが。。。)
当時を思い出して、同じ時期に留学していた日本人と話す時に共通する意見があります。彼ら4人はいつも『余裕』があるように見えたのです。何に対して『余裕』があるのかは当時はわかりませんでした。帰国してからも、きっと『テニスの才能がずば抜けていたから』という感じで思っていました。
でもそれだけではないなという感じもしていました。上記の僕のさむさむのカッコつけ発言、これの仕事をテニスに置き換えると。。。
『テニスの成績なんて、良くても悪くても幸せを感じられるようにこの仕事を選んでますから、どっちでもいいんですよ~~』
彼らから感じていたのは、こんな雰囲気でした。もちろん、食うか食われるかの世界。僕のようなへっぽこプレイヤーとは別次元の競争ですから、プレッシャーなんて想像も出来ないくらいの大きさでしょうから、そんな気楽な世界でないことはわかってるつもりです。
結論から言うと、僕らが感じていたのは、『理不尽に耐えられる能力』だと思います。テニスのプレイ以外を取り巻く環境で起こるあらゆる理不尽を消化できる能力に彼らは長けていた気がする。どんな環境で頑張っていても、思い通りにいかないことばっかりです。それが、テニスコートの中だけなら努力するしかないですが、テニスコート外での諸問題となれば、なかなかうまく消化できません。もちろん、その為に大きな役割を果たしているのは、彼らの家族であろうと思います。
とても難しいことだと思うけど、テニスをテニス以上にも、テニス以下にも評価しないことが重要だと思います。仕事も仕事以上でもないし、それ以下でもない。ただし、命をかけて熱中して仕事をする場合は、『仕事』ではなく他の表現を用いたほうがいいとおもいますが。。。(熱い人に怒られそうなので、一応フォロー、笑)
テニスなんて色んな格差が反映されるスポーツですから、理不尽なことだらけです。テニスコートの傍には『理不尽』や『不条理』がごろごろ転がってます。
努力を続けられるように、そして誤った方向に努力がねじ曲がっていかないように、偶然自分の口から出た嘘八百を日々自分自身に言い聞かせよう。
おまけとして、理不尽つながりで、かなり理不尽なマッチポイントをどうぞ!5セットも試合してしかもファイナルセットタイブレークまでもつれてこの終わり方。。。

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